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人生で一番悲しかった日

2016年9月11日日曜日


最愛の猫、朔ちゃんが、FIPという病気で、9月5日に亡くなりました。
この時のことを忘れないように、私が体験したことをブログに残しておこうと思います。
書き始めたら、思いの外、異常なほど、長くなってしまったので、FIPという病気について簡潔に知りたい方には、こけ助くん物語がおすすめです。


朔ちゃんは、2016年7月10日に、にゃんちと一緒に、所沢にある保護猫カフェからうちにやってきました。

茶色っぽい子が朔ちゃん。朔ちゃんは、7ヶ月、にゃんちは、2ヶ月の子でした。
保護主さんから伺った話によると、朔ちゃんは、千葉で保護された野良猫だったようです。
最初は、心細かったのか、ずっと二人でくっついて寝ていました。

朔ちゃんは、いつも、にゃんちにとっての優しいお姉さんでした。
にゃんちは、朔ちゃんのことが大好きで、いつも朔ちゃんの真似ばかりしていました。
朔ちゃんが餌を食べれば、にゃんちも食べに行くし、朔ちゃんが水を飲みに行けば、にゃんちも水を飲みに行くし、朔ちゃんがトイレに行った時には、じーっとトイレをしている朔ちゃんを見つめていました。
追いかけっこしたり、舐めあったり、本当に仲良しで、そんな姿が見られるだけで幸せでした。


朔ちゃんは、すごく私に甘えてきてくれる子でした。
うちでは、猫が寝室に入れないようにしているのですが、私が朝起きて猫のいる部屋を開けた時と私が仕事から帰ってきた時、すぐに私の方に寄ってきて、すりすりしてきました。
私がその場に座ると、すぐに私の上に乗ってきてくれました。
朔ちゃんが飽きるまでずっと抱っこすることが私の日課でした。
普段は大人しくて、家族以外の人が家に来ると全力で逃げ出すくらい人見知りで、いろんなことにすぐビビってしまう朔ちゃんが、私にだけはすごく一生懸命に甘えてきてくれるのが本当に嬉しかったです。
「そんなに甘えてこなくても朔ちゃんのこと捨てたりしないよ?!」と思ってしまうくらいに、本当に一生懸命に甘えてきてくれていました。

そんな朔ちゃんが8月28日(日)の夜から、突然、私に近づいてこなくなりました。
その日、私は朔ちゃんの大嫌いな掃除機を使ってしまったので、怒っちゃったのかななんて思っていました。

8月29日(月)、私はこの日から一週間、夏休みを取得していたので、この日は1日朔ちゃんとにゃんちと一緒にいました。
そこで、朔ちゃんがずっと寝ていること、餌を全く食べていないことに気づきました。(水は飲んでいました。)
また、この日も私に甘えてくることはありませんでした。
流石におかしいと思い、次の日、病院に連れて行く事にしました。
にゃんちは、朔ちゃんの体調の悪さに気づいていないのか、しつこく遊ぼうと誘っていて、朔ちゃんが嫌がっていたので、にゃんちをケージに入れて寝ました。(本当は、朔ちゃんをケージに入れようと思ったのですが、朔ちゃんがベッドに使っていたクッションがケージに上手くはいらなかったので、にゃんちをケージに入れることにしました。)

8月30日(火)、この日は、午前中東京に台風が来ていました。
にゃんちをケージに閉じ込めてしまったことと朔ちゃんの体調が心配だったので、朝の苦手な私ですが、午前7時頃に起床したような気がします。
この日、朔ちゃんのおしっこはいつもより黄色くなっていました。(山吹色と表現するようです。)

病院の始まる午前9時に電話をし、台風が過ぎ去るのを待つために、午前ではなく、午後一番の診療を予約しました。
朔ちゃんは、外に出るのが大嫌いで、病院に行くときもにゃーにゃーとずっと鳴いていました。
病院に行って、すべての様子を説明し、検査のために一時預かっていただくことになりました。
朔ちゃんが元々大人しい子だったこともあり、その時は、大きな病気にかかっているなんて夢にも思いませんでした。

3時間ほどして、お迎えに行くと、先生に、朔ちゃんの胸に胸水が溜まっていること、ウエットタイプのFIPの可能性があることを伝えられました。
FIPという病気を聞いたことはなかったし、「致命的な病気です。」と言われても、治らない病気と一生付き合っていかなきゃいけないのかな?くらいに考えていました。
ワクチンさえちゃんと打っていれば、そんな怖い病気にかかることなんてないと思っていました。

しかし、先生に、血液検査の結果を聞いたり、猫の病気という本を見せてもらいながら説明を受ける内に、相当やばい病気なんだと気づきました。
カリウムと電解質の値を補正するために、入院することを勧められ、一応主人に電話で入院させていいか相談し、朔ちゃんを入院させることにしました。
主人に電話した時には、パニックで涙が止まらなかったです。

朔ちゃんを置いて家に帰り、FIPについて何時間も調べました。
FIPは、致命的な病気であること、発症から1週間程度しか生きられないこと、最後は歩けなくなってしまうことなど絶望的な情報ばかりが目に入ってきて、涙が止まりませんでした。
ネットでは、「FIPと診断されたけど、うちの子には○○という症状がないから誤診だと思う!」というような書き込みもありましたが、朔ちゃんには当てはまる症状が多すぎたこと、そういった猫ちゃんであっても結局は短い期間で虹の橋を渡っていることなどもあり、朔ちゃんがFIPであることを疑う余地がありませんでした。

朔ちゃんに当てはまっていた症状としては、胸水、黄疸、発熱、食欲不振があげられます。
こういった症状でネット上を検索すると、FIPしか出てきません。
下痢や発作などは見られませんでしたが、家に来たばかりの時などは下痢をしていました。また、発作も、ウエットタイプの子ではなく、ドライタイプの子に見られる症状のようなので、関係ないと思いました。

たくさん泣いた後、病院の先生に、もう一匹の猫(にゃんち)へのコロナウイルスの感染を防ぐために(FIPは、コロナウイルスの突然変異によって発症する)、部屋やトイレを消毒すること、朔ちゃんが退院してきた時のために、隔離できる準備をしておくことを言われていたので、それらを行いました。
この時間は、闘病生活の中でも上位にくる辛さだったと思います。
部屋を消毒することは、朔ちゃんが私の家で過ごした痕跡を消していくようなそんな気分になりました。

8月31日(水)、病院の先生に、朔ちゃんの好きな食べものを持ってきてあげてくださいと言われていたので、午前中、届けに行きました。
正直、朔ちゃんは、あまりこれといって好きな食べものがあったわけではないので、普段食べているドライフードしか持って行ってあげられませんでした。
入院用のケージに入れられている朔ちゃんは、家では見たことのないような鋭い目をしていました。
先生は、「猫は体調が悪くなると目が三角になる」とおっしゃていましたが、今思えば、知らない場所にいるのが嫌だったことも関係あるのかもしれません。
点滴をされている腕が気になるようで、しきりに腕をふっていました。
食事は、ちゅーるを貰っていたようですが、自分からは食べず、先生が鼻のあたりに塗ってあげるとそれを舐めるということでした。
たしか、前日の夜に2回ほど発作が起きたと言っていたと思います。
朔ちゃんを見ると、可哀想で悲しくて涙が止まらなかったです。

一度帰り、夕方頃、主人と一緒にまたお見舞いへ行きました。
朔ちゃんのお気に入りのクッションと、ちゅーるを持って行きました。
私は、上手く血液検査の結果などを主人に説明できなかったので、先生にもう一度説明していただきました。
やはり、この時も涙が止まらなかったような気がします。


9月1日(木)、この日は、1度、主人とお見舞いに行ったのだったと思います。
やはり、朔ちゃんはとても元気がなさそうでした。
クッションは、トイレに上手く行けず、おしっこがついてしまうからとどかされていました。

この日の夜、遺伝子検査の結果が返ってきたと病院から電話がありました。
やはり、FIPでした。
余命は2~3週間とのことでした。
実は、次の日から1泊2日で旅行に行くことになっていたのですが、今のこの状態では楽しめないこと、朔ちゃんが心配なこと等を考慮し、旅行はキャンセルしました。
この時、この決断をしてくれた主人には、感謝しています。
また、朔ちゃんと少しでも長くの時間を過ごしたいと思い、一緒に寝るために、楽天で布団を注文しました。

9月2日(金)、午前中にお見舞いに行きました。
FIPが確定したこともあり、ますます朔ちゃんと会うのが辛くなっていました。
この日は、私が撫でた時にそっぽを向かれてしまって、悲しかったのを覚えています。
病院の先生と話し合い、この日の夕方、退院することになりました。

主人と一緒にお迎えに行き、連れて帰ったのですが、元気がないはずの朔ちゃんが、外に出るとにゃーにゃーとずっと嫌がって鳴いていました。
こんなに嫌がる朔ちゃんを病院に連れて行くことはもうしたくないなぁと思いました。

家に帰り、ケージから出してあげると、朔ちゃんは、まともに歩けなくなっていました。
かろうじて立てるものの、すごくフラフラとしていました。
病院にいる間は、動く姿を見ていなかったので、歩けなくなっていることに気づきませんでした。

そんな朔ちゃんが、ケージから出て、一番に来てくれたのが、私の膝の上でした。
病院にいる間は、私がいてもちっとも嬉しそうにしていなかったのに、こんな状態になっても私の所に来てくれることの嬉しさと、そんな朔ちゃんがもうすぐいなくなってしまう悲しさで、やはり涙が止まらなかったです。
朔ちゃんが動くまで、ずっと抱っこをしました。

家に帰ってきた朔ちゃんは、お水をたくさん飲んでくれました。
餌は鼻につけたら舐めるけど、自分からは絶対食べないという状態でした。
餌が食べられなければ、シリンジで病院から貰った餌をあげるように言われていたのですが、鼻につけた分は舐めること、夕方まで病院で点滴をしてもらっていたこと、朔ちゃんに負担をかけたくなかったことなどがあり、その日は、シリンジでの餌やりはしませんでした。
トイレなども一生懸命歩いて行っていました。
目も可愛い朔ちゃんに戻っていました。

9月3日(土)、この日は、前日とあまり変わりありませんでした。
餌は食べないけど、水は飲むという状態。
シリンジでの餌やりを試してみたのですが、どこにこんな力が残っているんだろうと思うほど抵抗して嫌がりました。
こんなに嫌がる朔ちゃんにどうして餌をあげなければいけないんだろう?
朔ちゃんは、こんなに嫌な思いをして、頑張って餌を食べて、この先に何があるんだろう?
餌を食べて長生きさせればさせるほど、朔ちゃんは辛くなるのではないか?
と思いました。
結局、そのような思いから10ml程度しかあげられなかったと思います。

その晩は、注文していた布団が届いたので、朔ちゃんと同じ部屋に布団を敷き、一緒に寝ることにしました。
布団を用意している最中、敷布団を敷いてから、掛け布団の用意をしていたのですが、あんなにヨタヨタと歩いていたはずの朔ちゃんが、私も気づかぬ内に、自分から敷布団の上に座っていました。
なんて可愛い子なんだろうと思いました。

明け方には、自分のベッドに戻っていましたが、少しでも一緒に寝られて嬉しかったです。
夜、何回か朔ちゃんが水を飲むために動いているような音を感じました。

9月4日(日)、この日、お昼ごろに、朔ちゃんが急に大きな声で鳴いて、呼吸が荒くなり、とても苦しそうに床をもがきだしました。
私達に助けを求めて鳴いているように見えました。
胸水が溜まってしまったのだろうか?!これが前に言っていた発作だろうか?!とパニックになりました。

この日は、かかりつけの病院がお休みだったため、近くにある他の病院を探しました。
動物の救急相談などにも電話をしました。
本当は、外を嫌がる朔ちゃんのために、往診できていただける先生に診てもらいたかったのですが、緊急でそのような対応をしていただける病院は見つけられませんでした。
そのため、車で15分ほどのところにある病院へ行き、診てもらいました。
そこの先生の診断では、胸水は溜まっていない、意識はあるように見える(発作の時は、意識がない)とのことで、低血糖である可能性を指摘されました。
なにか検査をしたわけではない(おそらく、発作が起きている状態で検査を行うのが難しかった)ので、本当に低血糖だったかはわからず、また、かかりつけの先生や主人は発作だったのではないか?と思っているようですが、私は、朔ちゃんには意識があったように思うし、私が餌をあげなかったせいで、低血糖になってしまったと思っています。
病院で砂糖水を少し飲ましてもらい、また、家でも飲ませられたら飲ませてくださいと同じものを貰って帰りました。(発作が起きているような状態の時は、誤嚥の可能性があるため、飲ませてはいけないそうです。)
しばらくすると、朔ちゃんは落ち着きました。

ただ、その後の朔ちゃんは、水も一切飲めなくなっていました。歩くこともできなくなりました。
それでもトイレには行きたいらしく、必死に這ってトイレに向かっていました。
また、苦しいせいか、必死に這って何回もトイレ以外のどこかへ行こうとしていました。
朔ちゃんがどこへ行きたいのかもわからず、私達夫婦には朔ちゃんを抱っこすることしかできませんでした。

この日の夜、主人と話し合い、朔ちゃんを安楽死させてあげようと決めました。
通院のお金などは、いくらかかっても良いと思えましたが、こんなに辛い思いをしている朔ちゃんに対して延命治療をする理由が私には見つけられませんでした。
もちろん、私は一秒でも長く一緒にいたかったですが、そんなことよりも、もう朔ちゃんに苦しんでほしくないという気持ちが強かったです。
私が餌をあげようとすれば、朔ちゃんは残っている体力を振り絞って抵抗をするし、私が餌を上げなければ、低血糖で苦しむことになる。
何をしても、何をしなくても、朔ちゃんには苦しむ未来しかないと思いました。

9月5日(月)、バタバタという音で午前6時前に目が覚めました。
起きると、前日とは違う感じで朔ちゃんがバタバタと暴れていました。
鳴き方もおかしかったですし、私の方を見たりもしませんでした。これは、発作だと感じました。
前日に、かかりつけの先生に、次なにか起きたら動画を撮るようにと言われていたので、動画を撮影し、LINEで先生に送りました。
少しすると落ち着きましたが、またすぐにバタバタとしだしました。
やはり私には、抱きしめることしかできませんでした。
バタバタとする状態はずっと続きました。

午前7時頃、バタバタとしたまま、私の膝の上でおしっこをしました。
これは、やばいと思い、一旦さくちゃんを降ろして、主人を呼びに行きました。
また緊急の電話相談に電話をかけたり、主人が発作を止める方法を調べてくれたりしました。
先生からもLINEの返事がきました。これは、発作で、長時間続くようなら危ないということでした。
一向にバタバタが止まらない朔ちゃんを抱きしめて、「大丈夫だよ大丈夫だよ」と言い聞かせていたと思います。

願いも虚しく、午前8時頃に私の腕の中で、パタッと朔ちゃんの動きは止まりました。
正直、その時のことはあまり覚えていません。
いなくなってしまった、と感じたような気がします。
ぼーっとしながら、病院の先生に息を引き取ったことをLINEで伝えました。

最後に、病院でシャンプーをしてもらえることになったので、午前10時頃に病院に連れて行きました。
先生には、最期までパパとママといられたことが、朔ちゃんにとっては幸せなことだったと思うというようなことを言われた気がします。
たしかに、最期を看取れなかった飼い主もいるようだから、私自身、朔ちゃんをずっと抱きしめることができて幸せだったのだと思う。
また、FIPで死ぬことは、交通事故に合うようなものだとおっしゃっていた。
なんで、朔ちゃんだったんだろうと悲しくて仕方がない。

何もわからない私たちに、先生がお葬式の手配をしてくれた。
1日家で過ごして、翌日に火葬をするのが普通らしいが、主人が次の日の仕事を休めないこともあり、その日に火葬をしてもらうことにした。

午後1時に、シャンプーの終わった朔ちゃんを迎えに行った。
シャンプーの終わった朔ちゃんは、とても可愛かった。本当に可愛かった。
生前は嫌がって首輪などをつけられなかったが、可愛いリボンをつけてもらっていた。
最後の方は、うまくトイレができず、足がおしっこで汚れてしまって可哀想だったのだが、足も綺麗になっていた。
また、どんな処理をしたのか知らないが、体も生きている猫のように柔らかくなっていた。

家に帰ってから、何度も何度も抱きしめた。
全然つらそうに見えなくて、ひんやりとしている体を暖めたらまた目を覚ましてくれるような気さえした。
本当はずっとそばに置いておきたかった。ずっと離れたくなかった。
でも、そう思うからこそ、当日に火葬をお願いしてよかったと思った。
翌日だったら、きっと、もっと離れるのが辛かったと思う。

火葬場には、たくさんのお花を持って行った。
主人は「そんなにたくさんいる?」と呆れていた。
今まで、死んだ後に何かをしても意味が無いと思っていたが、朔ちゃんには出来る限りのことをしてあげたいと思った。

火葬場で、お花を置いてしまったら、朔ちゃんを抱き上げることはできなくなった。
もう一度朔ちゃんを抱きしめたいと何度も思った。

焼かれてしまった後の朔ちゃんを見るのは辛かった。
あんなに可愛い朔ちゃんを焼いてしまった、と思った。

火葬場の方は、いろんなことを説明してくれた。
朔ちゃんは、爪の骨と歯の骨を残していた。
爪の骨を残していくということは、自分で歩いて行けるよという言い伝えがあると教えてくれた。
普段は、そんな話一切信じないのに、最期歩けなくなってしまった朔ちゃんを思うと、本当のことだったら嬉しいと思った。
また、歯の骨を残していくということは、家族を守ってくれているということだというのも教えてくれた。
優しかった朔ちゃんらしいと思った。

お骨は家に連れて帰って、リビングにいる。
今も毎日のように朔ちゃんを抱きしめたいなと思っている。
このブログを書きながら、また、涙が止まらなくなった。

ただ、私は、あまり後悔をしていない。
精一杯、朔ちゃんを愛していたし、きっと、朔ちゃんも私のことが大好きだった。
1つ後悔があるとすれば、土曜日の朝に安楽死をさせてあげてればよかったかもしれないということだ。

朔ちゃんは、たった9ヶ月しか生きられなかった。
うちにいた期間は2ヶ月もない。
それでも、私は、本当に、朔ちゃんのことが世界中の何よりも好きだった。
こんなに何かを愛せたのは、生まれて初めてだった。
朔ちゃんのおかげで、猫の可愛さを今まで以上にたくさん知ることができた。
朔ちゃんに出会えて本当に良かった。